私の世界は、私が作っている
自分を大切にするようになり、思ったことがある。
それは、
世の中、失礼な人多いな!!!
ということ。
これは、そうでもあるとも、そうでないとも言えることに気が付いた。
世界はひとつではない。私の世界と他の人の世界は違う。
私の世界は、私が作っている。私の世界は、私しか作れない。
私は、今まで私の世界をそのように作ってきたということだ。
私は自分を大切にしてこなかった。失礼な扱いを受けても、それをよしとしていたのだ。
私がわたしを大切にしていなければ、他の人も大切に扱ってくれない。
失礼な人が勝手に増えたのではなく、私がそれを許していたから増えたのだ。
そして、見て見ぬふりをしていたのを、ひとつひとつ反応するようになったからいきなり増えたように感じたのだ。
そして、それを許すということは、私のことを本当に大切にしてくれている人達にも失礼な行為だ。
人が大切にしているものに、「それにはそんなに大切にする価値はありませんよ」と言っているのと同じだから。
もう誰にも許さない。たとえ親しくしていた人であっても、お世話になった人であっても。
それとこれとは別の問題だ、とようやく認識できるようになった。
頼られるのはいい。でも、善意につけこんで便利に利用されるのは嫌だ。
今ははっきり言えるけれど、まだ私の世界は私の変化についてきていない。そのうち、徐々に私の世界も変化していくだろう。
今は、そんな人達に対し、少しずつ自分が毅然とした態度をとれるようになったことを、自分で褒めてあげる期間だと思っている。
わたし、すごーい!
と、毎日自分に話しかけている(笑)。
元のわたしに戻る
私の最近の変化を、「進化」と言う人がいるけれど、
私自身は「本来の自分に戻ってきた」という感覚。
そうそう、元々わたしってこんなだった!
と思うことばかり。
小さかった頃のわたしを、ひとつひとつ拾い集めているような感覚。
余計な思い込みをひとつずつ剥がしている感覚と言った方がしっくりくるかな。
わがままだったわたし。
怒りんぼだったわたし。
言いたいことを言わずにいれなかったわたし。
淋しがりだったわたし。
全部、知っていた。
でも、隠して、バレないようにしていた。
それではダメだと思っていたから。
人に好かれないと思っていたから。
しかし、それをすればするほど自分が嫌いになった。
当たり前だ。私は私に否定し続けられていたのだから。
でも、気付いた。
どうせ、好かれるためにいい人になろうとしたって、そうしようとすればするほど
都合のいい人になるだけだ。
それではいつまでたっても私は満たされない。
人に満たしてもらおうとするのはやめた。
私のことは私がご機嫌にしてあげるんだ。
誰に嫌われるよりも、自分に嫌われるのが一番怖い。
わがままで、何が悪い。
やりたいことならやればいいし、やりたくないことに時間も労力も使わなくていい。一回きりの人生、後悔したくない。
怒りんぼでもいい。
嫌なことされたら怒っていいんだ。
言いたいことなら言おう。
察してもらおうなんて甘い。分かってもらいたければ、話さなきゃ。
淋しがりだっていい。
一人で生きれないってちゃんと分かってる証拠だ。
自分を隠したり、他の誰かになろうとしなくてもいいんだ。
私はわたし。堂々としてればいい。
わたしの世界には、美人しかいない。
「かわいい」「美人」
最も言われたくないワードだった。
言われても全然嬉しくないし、一体どんな反応すればいいか分からないし、困るだけだった。
お世辞ばかり言って、本当はそんなこと思ってないくせに、と腹を立てることもあった。
わたし、相当気が強かったです。
私は、かなり気が強い。
それは、自覚していた。
魔導師さまに、あなた本当は気が強いよ、と言われたときも大きく頷いた。
好きな人にだって、私を嫌う権利はある
前回、好きな人にだけ好かれたい、と書いたばかりだが、
私の好きな人にだって、私を嫌う権利はある。
振り幅は同じ。プラスもマイナスも。
マイナスの感情を、感じたくないかもしれないけど、
感情の振り幅はプラスもマイナスも同じだけしか振れないから。
すっごく嫌なことも感じなければ、すっごく嬉しいことも感じられないよ。
そう言われた。
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