メイコのひとりごと

わたしからわたしへ。わたし自身へのメッセージ。

わたしの世界には、美人しかいない。

「かわいい」「美人」
最も言われたくないワードだった。

言われても全然嬉しくないし、一体どんな反応すればいいか分からないし、困るだけだった。
お世辞ばかり言って、本当はそんなこと思ってないくせに、と腹を立てることもあった。

これは、私が私のことを美人でも可愛くもないと思っているからだと思っていた。





しかし、よくよく自分を見てみると、違う思いがそこにはあった。


それは、女は損だという思い。それも、美人であればある程損だという思いだった。






どうしたって男には力で勝てない。しかも、子どもの頃から体力のない私はそれが顕著だった。

子どもの頃は、素直に持ち前の気の強さを発揮し、人と(特に男の子と)衝突し取っ組みあいの喧嘩になることもあったが、必ず負けた。それも、すぐに負けた。ゴングが鳴って1分もたなかった(笑)

そして、そんな私に、大人は「女の子なのに取っ組みあいの喧嘩なんかして」と言った。
発言内容には明らかに私に正当性があっても、そこは聞いてもらえなかった。暴力を振るったのはお互い様だしどちらかと言えば私の方がやられているのに、怒られるのは私だった。

これは、私が女だからだと思っていた。


もう少し大きくなると、人と衝突するのが心理的にも体力的にも大変になり、大人しくなった。
すると、何も文句を言わないからと面倒なことを押し付けられた。

学校の先生なんかも、私に何でも頼んだ。
学級委員でもないのに、「しっかりしているから」と同級生のお守りを私にさせた。(今ならハッキリ言える。それ、お前の仕事だからな。人に押し付けんな。)

すると、同級生からは、嫉妬された。先生に胡麻を擂っているように見えたらしい。あまり喋らず、大人しくなったことも災いした。
そして、「可愛さで先生に媚を売っている」「美人だからってお高くとまってる」と言われたりした。

美人だと嫉妬される。めんどくせぇ。という方程式が私の中で出来上がった。


そして、もうひとつ。成長するにつれて、迫ってくる性犯罪のリスク。
私の友達の中で、よく痴漢に遭う子が可愛い子だった。性犯罪に遭った子が、美人な子だった。

美人って、リスクが高い。そう思った。





しかし、今思えば、気の強さを素直に出していた頃、私は口の立つ子どもだった。
大人たちにしたって、本当は喧嘩になった二人とも叱りたかったのかもしれない。

しかし、私が自分の正当性を主張し、それが結構生意気だったのだろうと思う。大人からすれば、面白くないだろう(笑)
それだけ口が立つなら、暴力に訴えかけなくても口で言えばいいと教えたかったのかもしれなかった。

同級生の一件だって、彼らが「美人だから」と言ったのは後付けに過ぎない。
同級生は、「美人だから」という枕詞を付けることで、自分達の言っていることに正当性があるように見せたかっただけだ。

性犯罪も、たまたま私の周囲では可愛い子や美人な子が被害に遭ったに過ぎない。美人かどうかは関係ない。

私が、そういう出来事の原因を、「女だから」「美人だから」というところに結びつけていただけだった。




また、私はそう言われたかったのだろう。
長女なので、下の子ができると親の目線はそちらに奪われてしまう。
下の子が「可愛い」と言われるのをずっと聞いて育ったが、私が親にそう言われた記憶は一切無い。
「豚」と言われた記憶はいっぱいあるが。

言われたいのに言われなかった、そのことが、いつしか「もう、これは言われない言葉だと諦めよう。この言葉はもういらない。」と思うようになった。

だから、言われたら「それいらないんです。」と拒否する気持ちが強く、嬉しいと思えなかったのだった。







しかし、私は私が美人だと知っていた。美人に見られたくない、美人ではないと思い込みたかっただけで、知っていた。
だからこそ、おしゃれもせず眼鏡をかけ、こんな年でもほぼ毎日スッピンで過ごしている。

その証拠に、私はブスはいないと思っている。
自分がブスだと思っていると、ブスばかり気になる。あの人ブスなのにあんな服を着ている、あんな物を持っている、あんなことをしている。
身の程をわきまえたらいいのに、と。


私は、そういうのをほとんど思ったことがない。私は私が美人だと知っているからこそ、私の認知に入るのは人の美しい部分だけだった。

私の世界には、ブスはいない。
美人しか、いないのだ。








「可愛い」と言われても嬉しくない。「美人」と言われても、嫌な記憶が蘇るだけ。だったら言われないようにしよう。
私は美人じゃない、そう思い込み目立たないように生きてきたのだと気付いた。





しかし、よくよく振り替えってみると、あまり効果はないらしかった。
むしろ、大人になり、新しい知り合いができると「美人なのに勿体ない」とか言われることが多くなった。

隠したかったのに、いっこも隠せていない。全く意味が無かった。






だったら、私は美人だと認めればいい。そもそも私の世界には美人しかいない。それなら、私も美人に決まっている。しかも、どうせその事実を拒否したって隠せてはいない。バレているのだ。
美人は損だと思っていたのは、ただの私の妄想だったのだ。

だったら隠している方が損だ。美しくしている方が、気分だってアガる。








私は美人を楽しめばいい。

私は私を楽しめばいい。