メイコのひとりごと

わたしからわたしへ。わたし自身へのメッセージ。

愛されるのにも、覚悟がいる

自分を大切にしてこなかった人にとって、愛されるってすごく怖い。


自分を大切にしてこなかった人は、根底に「自分なんて大切にする価値がない」という思いがある。
なので、自分が大切にされることにも抵抗がある。



口でどれだけ「愛されたい」「大切にされたい」と言っていても、
いざ愛されたり、大切にされた時には受け取ろうとしないのだ。



今の自分ではダメだと思っているから、この今の自分でも愛されると
今の自分を認めなければいけなくなる。

今のままではダメだ、変わらなければ、と努力し続けてきた自分。
今のままでもいい、なんて言われたら、努力し続けてきたことを否定されたことになる。

だから、愛されているとは認められない。認めたくない。





でも、それは自分自身から逃げているだけだ。
愛されない、と言っている方が楽だからにすぎない。


結局、自分のドロドロした本音を見たくないだけ。
そこに向き合いたくないのだ。

愛してくれない、と他の人を責め、私が悪いから、と自分を責める方が楽だから。





自分の本音に向き合い、
うわっ、こんなこと考えてたんだ!自分って嫌なやつー!
と思ってのたうち回り、そんなはずはないと怒ったり、呆然としたりする。
しかしそれは、自分の個性であり、自分らしさであるということに気付き、自分を認めていく。

そして、自分を大切にし、自分を愛することができたら
自分は既に愛されていることに気付くのだが、


見たくない自分の本音に向き合い、のたうち回り、呆然とし、ショックを受ける覚悟がなければ、

愛されている事実を受け取れないのだ。







かくいう私もそうだった。
私は私が嫌いで、大好き、愛してると言われる度に、そんなことを言ってもらえる資格はないと苦しみ、
何故こんな私にそんなことが言えるのか、私は私が消えてなくなればいいと思ってるのに、と泣いた。


しかし、時には死にたいとまで言って、心配させたり困らせたりしても、
彼は、いつでもそんな私を好きだと言った。愛してる、と言うのをやめなかった。
生きていてほしい、ここに、存在していてほしいと言った。






私は、観念した。

愛される、覚悟を決めた。








私はここにいていいんだ、生きていていいんだと自分に言い聞かせることから始めた。



まだ、私も途中。
長年蓋をしていると、蓋の場所も忘れてしまう。
まだ、ひとつひとつ探して少しずつ出している最中だ。


しかし、かなり生きやすくなった。
それまでは辛かったが、覚悟を決めた途端、目の前が開け、自分が人生を歩んでいる感覚が分かるようになってきた。


自分の存在が、やっとこの世にはっきり映るようになったかのようだった。






そして、やっと彼を愛せるようになった。
それまでは、好きかどうか分からないとハッキリ本人に言ってしまうくらい、分からなかったが。


自分に向き合い、自分を認めていくにつれ、
少しずつ、でも確実に、彼に対する私の愛は深くなっている。








あなたはもう、愛されている。
あとは、覚悟を決めるだけ。